カワシロウ講座

荒川の流路の変遷

堀口萬吉先生(埼玉大学名誉教授)


平成10年2月21日(土)にさいたま川の博物館で実施している「カワシロウ講座」で埼玉大学名誉教授の堀口萬吉先生に「荒川の流路の変遷」と題して講演いただいたも      のを担当者がまとめたものです。図は「荒川 自然」より引用しました。

1 はじめに
 「荒川の流路の変遷」という題で講演しますが、最初は「荒川の流路の変化」にしようか、と考えていたんです。しかし、「変化」という言葉では時間軸がない。そこで、移り変わりがわかるという意味で「変遷」という言葉にしました。

2 現在の荒川
 荒川は甲武信岳に源を発し、秩父山地を横断し、寄居で埼玉平野に流下し、東京湾に注いでいます。一般的には、上流・中流・下流と分けますが、荒川総合調査では、地形と人との関わりから、V字谷など急峻な地形を流れる源流域、段丘地形の発達した中を流れる河岸段丘域、扇状地域、瀬替えが行われ、川幅は狭いが広い河川敷をもつ人工河川域、都市の中を流れ、直線的な都市河川域の5流域に分けています。
 河川の縦断面図は日本の急峻な地形を反映しています。そ の中でも信濃川と荒川は同じ甲武信岳に源を発するにも関わらず、埼玉県側は流れが急です。

区分
源流域

河岸段丘域

扇状地域

人工河川域

都市河川域
地形 V字谷 河岸段丘 扇状地 自然堤防 三角州
長さ 赤沢谷合流
から26km
48km 19km 41km 39km

3 流路の変遷
 現在から過去にさかのぼって見ていきます。
(1)近い過去の流路変化(人為的改変)
@荒川本流の河道状況の変化(25年間)
 



2つの図を比較すると25年間に大きく変化したことがわかります。A・B・C区(熊谷の上流)では岩盤がでてきた。また、最近、荒川の砂が増えてきた。これはダムができたことというより荒川の流れが変わったのではないかと思います。
 25年間の河道状況を河原の砂利の変化から見ることができます。25年たったらまた調査し、記録を残すことで比較できます。

A本流の改修・直線化(約70年前)
 明治43年の水害を期に荒川の治水工事が始まり、蛇行した川から幅の広い直線的な川に変わりました。明治17年に作成された迅速地図は自然の河道が表現されており、現在の河道と比べると変化の様子がわかります。この改修により漁法も変わりました。


B荒川流路の瀬替え(約350年前)
 寛永年間、元荒川を流下していた荒川の流路は、瀬替えにより久下から南方の和田吉野川の流路に付け替えられました。徳川幕府による利根川東遷事業と一連の工事です。 この瀬替えにより現在の河道になりました。

(2)遠い過去の流路変化(自然的変遷)
 地殻変動や氷河など気候変動による自然上の変化です。日本では地殻変動が激しく、第四紀の約100万年くらい前までしかわかりません。



@最終氷期(約2万年前)
 寒冷気候で海水面が200m近く低下し、大宮台地南方では、現在より40mくらい深い峡谷ができました。その後の縄文海進により、埋められ現在の低地となっています。

A低位〜中位段丘の時代(約5〜20万年前)
 寄居より上流地域で河岸段丘が発達しており、その分布から河道が推定できます。

B高位段丘の時代(約50万年前)
 尾田蒔丘陵でみられる扇状地堆積物が高位段丘として残っています。



C飯能レキ層の時代(150万年前)
 飯能市の南にある加治丘陵には、飯能レキ層と呼ばれる厚い砂レキ層があります。この中に閃緑岩の円レキが入っており、この円レキは奥秩父山地から運ばれてきたと考えられています。 飯能方面に流れていた荒川が北へ流路を変えてたのは外秩父山地が隆起したことによります。

(文責:当館学芸部主査 久保田郁夫)

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