〜特別展点描〜

特別展「水のデザイン」開催記

特別展「水のデザイン」のポスター
左「流水文銅鐸」 ・ 右「水煙渦巻文」の把手

はじめに
 平成10年10月24日〜11月29日の期間、第2回特別展「水のデザイン」を開催した。副題は「うずまく縄文 ながれる弥生」である。語呂が良く、密かに気に入っている。
 示構成は、縄文時代の水煙渦巻文把手付深鉢、弥生時代の流水文土器、流水文銅鐸などで、考古資料の中から「水の流れを感じさせる文様」が表現されたものをピックアップした。
 私事で恐縮だが、今年4月に本博物館へ異動となり、「川の博物館」で初めての(と言っても平成9年8月オープン以来、特別展は常に初めてのものばかり)考古資料中心の、ちょっとひねった特別展の担当となってしまった。

「水のデザイン」ってほんと?

 「弥生時代の流水文は水の流れを表現したものではない」という現在の研究現況に反旗を翻す度胸もなく、その根拠もない。当然智恵もない。近年、資料が増加している弥生時代の絵画資料の分析を通しても、弥生時代に「流水文=水の流れ」のような抽象的な表現方法が確立していたとは考えがたい(ただし、舟形注口土器に描かれた文様のようにそれらしきものは極まれにはある。)。
 さらには、縄文時代の「水煙渦巻文」が、その名のとおり、とするのはもっと厳しい。滝壺の底からゴロゴロ発見されれば別だが。
 結局、考古学者が「水」の文字を付けた2つの文様名称に全面的に頼らせていただいた。まさか命名した先生も、その名をメインテーマとした特別展を開催するとは思わなかったろう。
 ただし、両者とも多くの候補の中から淘汰されて生き残った由緒正しき(?)名前である。また、流水文銅鐸を水の流れと断定した著名な考古学者もいるように、物の見方は人それぞれである。そこから考古学の研究は進むのだ。

「水煙渦巻文」とは?

 「水煙渦巻文」は縄文時代中期後半(約4,000年前)、甲信、西関東地方に分布した「曾利式土器」に付けられた渦巻文で装飾される把手の名称である。前段階に流行した「井戸尻式土器」の把手の文様、あるいは東北南部の土器がその祖形と言われている。ただし、「水煙渦巻文」は曾利式土器出現段階の極めて限られた時期にしか認められず、その後、あっという間に把手は小さくなり、文様は簡素化される。
 内輪の話で恐縮だが、展示に耐えうる「水煙渦巻文」を有する資料があまりにも少ないことに驚いた。日本中でも20個体はないと思う。標識資料である長野県曾利遺跡4号住出土資料が官製葉書のモデルとなった理由も頷ける。

それでは「流水文」とは?

玉川村 小川さん御一家
坂戸市 石川さん御夫妻
ワークショップ「銅鐸に流れを描こう」から 
大人は四苦八苦しながら忠実に「流水文」を描く。子供が作ったものでは「ピカチュウ銅鐸」の他に「ハート銅鐸」、「お花畑銅鐸」、「怪獣銅鐸」、「パンダ銅鐸」などがあった。中には「大水車銅鐸」、「カワシロウ銅鐸」など、かわはくゆかりのものもあった。

 「流水文」は弥生時代中期を中心に主に奈良県、大阪府を中心に流行した文様であり、そこから各地に波及したと考えられている。今回の展示資料である兵庫県田能遺跡出土の流水文壺は、その胎土から大阪で製作されたものと言われている。
 また、「流れない流水文」コーナーで展示した関東地方の流水文は、関西地方で盛行した流水文が東海地方を介して伝わったとされる。ただし、関西と関東ではその文様の描き方、盛行時期、出土量には大きな差がある。果たして「流水文」はどのような過程を経て関東地方にもたらされたのか。関東地方の流水文に関しての優れた分析は幾つかあるが、資料数が僅少でもあり、未解決な部分も多い。
 流水文の出自については縄文時代晩期の文様である「工字文」から変化して成立したと言う説が有力である。「流水文=水の流れ」を否定する有力な根拠の一つである。しかし、縄文時代晩期からのスムーズな変遷過程は未だ解明しておらず、今後の資料蓄積が待たれる。
 なにはさておき、何を表現したかは謎である流水文は、銅鐸、土器、木製容器、髪飾りなど、あらゆる素材に描かれている。弥生時代の一大ムーブメントであったことは確かである。

銅鐸に流れを描いたら…

 本特別展関連事業として開催したワークショップ「銅鐸に流れを描こう ペーパークラフト銅鐸の製作」において、小学生の4〜5人がピカチュウを銅鐸に描いていた。その中の一人は「川の流れを描く」という命題のとおり「波乗りピカチュウ銅鐸」を完成させた。現代の小学生に最も愛されるモチーフが判明した。
 また、国立歴史民俗博物館で子供に銅鐸の絵柄を描かせた時と同様、大きな目玉を描く方が老若男女を問わず数人いた。「こ、これがいわゆる辟邪文銅鐸か!」と感動していたらその後、口や鼻が追加され、「お父さん銅鐸」や「おばあちゃん銅鐸」に変容してしまった。

再び「水のデザイン」とは?

 今回の展示構成は、古い資料から新しい資料へ順番に並べる歴史的な展示ではなく、あくまで「水の流れを感じさせる文様」を主題とした、言ってみれば「見立て」の展示である。「かわはく」だからこその特別展である。しかし考古学に興味のある方には物足りず、興味のない人には陳腐なものに写ったのではと危惧している。
 言い訳をすると、特別展「水のデザイン」の主旨には、個人が持っている激流、清流のイメージを通して展示資料を観てもらい「水の流れに見えますか?」と問いかける、ちょっと無責任な目論みがあったのである。
とにかく、荒川のほとりに全国の水煙渦巻文、流水文が一堂に会してしまった。川のせせらぎの中で流水文を眺めるのもなかなかおつなものである。         

(学芸員 佐藤康二)

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