| はじめに さいたま川の博物館では、今年度第3回目の特別展「龍神〜雲を呼び嵐をおこす〜」を開催します。 この特別展では、大陸で出現して、流行した龍が、弥生時代の日本に上陸したのちに、どのような変遷を経て、今に伝わる「水の神」として定着していったかに焦点をあてました。 さいたまの龍 さて、埼玉県内には、龍にまつわる伝説が、数多く分布しています。龍のすむ沼や淵、龍が退治された話、龍が女性に化けていた話などなど。 しかし、伝説を集めただけでは、特別展は開催できません。また、ひとくちに龍と言っても、美術工芸品やラーメンどんぶりなど、あらゆるところで見つけることが出来ます。 そこで、「水」、「雨」をキーワードに、今でもその姿を見ることができる龍を調査することにしました。 さて、みなさんは、倶利加羅龍(くりからりゅう)をごらんになったことがありますか。 曲がりくねった胴体で剣に絡み、その剣をまさに呑み込もうとする威厳に満ちた龍を「倶利加羅龍」と言います。県内のいくつかの例を紹介します。 飯能市富士浅間神社 境内にある「芙蓉(ふよう)の滝」の横にたっています。滝に打たれてこの龍を拝めば病いが直ると言われています。 川越市白髭神社 地元の方には「オタキサマ」と呼ばれています。眼下に湧水点のある崖上に立っています。この周辺は干害を受けやすく、戦前は、オタキサマを池に投げ込み、村中の人々が水をかけ、獅子舞がその池のまわりをまわるという雨乞いが頻繁に行われていたそうです。 川越市愛宕神社 「水神様」と呼ばれ、「仙波の滝跡」の前に建っています。滝は昭和38年に涸れてしまったそうです。旧仙波河岸が近く、明治、大正時代の水運最盛期には、船乗りに信仰されました。また、農家の人々は「雨の神」と呼び、滝の水を掛けて雨乞いをしたそうです。 東松山市不動沼 上野本地区に不動沼があり、そのほとりに、小さなお堂があります。その中に赤い鋭い眼でにらむ倶利加羅龍が納められています。不動沼はため池で、周辺の人々にとって、重要な農業用水の供給源です。なお、この倶利加羅不動尊は東松山市指定文化財です。 |
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| 富士浅間神社 | 白髭神社 |
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| 愛宕神社 | 不動沼 |
| 「くりから」の語源は梵語の「kulika」と考えられていて、本来は倶利加羅龍王です。すこし複雑ですが、この龍王は不動明王の化身ともされています。 これらの倶利加羅龍はいずれも江戸時代に建てられたものと推定されています。当時、水の神として、広く普及したと考えられます。 龍の舞台幕 秩父郡小鹿野町にある株父大神社には、張ると必ず雨が降る龍の舞台幕が伝わっています。 当社では明治時代末から秩父大神社舞と呼ばれる神楽(小鹿野町指定無形民俗文化財)が奉奏されますが、かつては、その夜に芝居も行っていました。この’芝居の時、社蔵の龍の幕を張ると必ず雨になるといわれたので、神社の奥にしまって、出さなくなりました。最後に幕を張った昭和22年も、やはりどしゃ降りになったそうです。 ![]() 屋台彫刻の雨龍 比企郡玉川村、今宮神社の末社である八坂神社の例祭に八坂祭があります。この時にひかれる通称一卜市の屋台に彫られている龍の彫刻は、その名を「雨龍」と呼ばれ、祭りの初日はわずかでも雨が降ると言われています。しかし、雨が降らない年は不作になると伝えられています。 また、日照りが続く時、この龍を屋台からはずして川に浸して降雨を祈願すると、不思議と雨が降ると伝えられ、かつてはしばしば雨乞いに使われました。 ![]() 龍の軸 大里郡妻沼町にある長井神社の社家に伝わる龍の幕を拝殿に掛け、雨乞い祈願をすると、不思議と雨になったと伝えられています。この龍は天保9年(1838)に描かれたものです。 なお、当社の伝記には、平安時代末、近隣の龍海という池に棲んでいた大蛇を退治した話が、射抜いたやじりとともに伝わっています。 ![]() 以上、さいたまの龍のいくつかをご紹介しましたが、県内には、他にも水や雨にかかわる伝承をもつ龍は、多数棲息しています。また、視野を日本中に広げれば、数え切れないほどの龍が、その鋭い睨みを利かせているのです。 |
(学芸第二課 学芸員 佐藤 康二)
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